私は、東急田園都市線、青葉台駅の南側のつつじが丘で育ちました。
私が生まれてから数えても43年経っていますが、私の知る限り、その数年前から住宅地として開発され、入居が始まったようです。ということは、もうそろそろ50年。歴史を振り返ってもおかしくない時期になってきたように思います。
私の手元にこんな資料があります。私の両親がつつじが丘に家を購入するときの、物件の案内です。資料は昭和37年度となっています。うちがつつじが丘に引っ越してきたのは、確か昭和38年(1963年)だと聞いた気がします。
田園都市線沿線は、東急が宅地開発したのですが、田園都市線の敷設と周辺の住宅地開発を同時進行でやっていたようです。両親がつつじが丘に引っ越してきた時点では田園都市線は溝の口まで。この資料を見ると、長津田まで延長予定となっています。
子供のころ、周りの大人たちからよく「田園都市線の周辺ではよくタヌキが出た」と聞かされました。つまり、ゼロから山を切り崩して造成して、鉄道を引いて家を立てて、今の田園都市線周辺の町が作られたということですね。
この資料には「つつじが丘」という地名が出てきません。地図を見る限り、私の家は「恩田」として説明されています。ただ、うちの住所が「恩田」だったとは聞いたことがないので、入居する時点では「つつじが丘」と決定していたのでしょう。
ちなみにここは、今は「青葉区つつじが丘」ですが、私が子供のころは「緑区つつじが丘」、そしてさらにその前には「港北区つつじが丘」だったようです。この資料には、「横浜市港北区恩田町字榎久保6800番外」と紹介されています。今となっては「字」だったことや「番外」だったことが信じられません。
当時の一戸建ての金額はこんな感じ。赤く塗られているのがたぶん我が家。土地は81坪で約130万円。建物が約77万円。全部あわせて220万円弱。安!
間取りはこんな感じ。もちろん平屋。実際は、この図の上下反転した間取りでした。これは、2LDKということになるのかな。
どうです?歴史的価値を感じる、なかなか面白い資料でしょう?