★★★★☆
初・司馬遼太郎。
小説の形態をとっていますが、しばしば文中に作者が登場し、取材旅行の様子や調査した資料を紹介しています。そこから相当な取材量であることが推測できるため、史実に忠実な作品のようであり、でも作家としての脚色は絶対含まれているはずで、その境界がよくわからないので、どこまでを本当の歴史と受け取っていいものか、読んでいてちょっと戸惑いを覚えます。
でも、おおむね他の学術系の本と矛盾はないし、私の読んだどの本よりも詳しく書かれているので、より龍馬や幕末のことがわかった気がします。
龍馬像として意外だったのは、極めて腕のたつ剣客として描かれていること。あまりに超人的でSFヒーロー的な印象すら受けました。
基本的には反暴力主義で人を斬り殺すことはしないのですが、それでもチャンバラシーンは意外に多く、峰打ちで相手に骨折を負わせたり腕を切り落とすことはあり、予想外にバイオレンス。そう言えば『龍馬伝』の福山龍馬は、ほとんど刀を抜くことがありませんから、剣客のイメージがほとんどありませんね。
また、薩摩の小松帯刀、幕臣の大久保一翁がかなりの存在感をもって描かれているのも意外でした。
幕末の薩摩藩士というと、西郷隆盛、大久保利通が圧倒的に有名で、小松帯刀は2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』で再評価されたようなところがあるようでした。
西郷、大久保は下級武士なので、当時の階級制度のもとではどんなに頑張っても大した活動はできない立場でした。小松帯刀は、薩摩藩の家老で直接政治を行う立場。藩の財政も握っていました。小松が、配下の西郷、大久保の活動をバックアップしたからこそ、彼らは力を発揮することができたのです。『竜馬がゆく』では、西郷、大久保を演劇の脚本、主演、小松を興行主に例えてその関係を説明しています。
坂本龍馬の功績で有名な薩長同盟と大政奉還ですが、いずれも龍馬のオリジナルのアイデアではないようです。薩長同盟は龍馬と同じく土佐脱藩浪人の中岡慎太郎も同様のアイデアを持っていたと言いますし、大政奉還は幕臣の大久保一翁も考えていたそうです。龍馬は両者と交流があったので、彼らのアイデアを拝借したのか、それともたまたま同じことを思いついたのかわかりませんが、少なくとも『竜馬がゆく』では、それらの仕事を龍馬一人で成し遂げたわけではないことがわかる書き方になっていました。
龍馬を主人公にしたドラマなどでは、何でもかんでも彼だけの功績として描くものが多いような気がしますが、『竜馬がゆく』では、彼の周りの人達の功績もきっちり書かれているのでびっくり。まあ単に私がモノを知らなかっただけなのかもしれません。
学校で習う日本史は、邪馬台国辺りから数えても約2000年分。その全体を大雑把に把握しようとすれば、自ずと個々のできごとのディテールがおろそかになり、とりあえず年表でも暗記するしかなくなります。その結果、なんだかちっとも面白くないし、わかった気にもなりません。『竜馬がゆく』を読むのは大変でしたが、やっぱりこのくらいの密度の方が理解が深くなります。おそらく、読み終わってしばらくすれば内容のほとんどは忘れると思いますが、それでも一度でもわかった気がした、という体験は違うと思います。